まみずハルカブログ

私の日常もあなたの非日常。とにかく雑多に書いてます。

大人と子供の「退屈」について考える

こんにちは、まみずハルカです。

 

大人になると、時間の流れる速さが早く感じます。

この理由は、子供時代に比べて新しい出来事が減ってくるからだそうです。

私も例外ではなく、時間の経つ速さに恐怖を感じています。

 

私なりに新しい物事を意識的に取り入れて生きているつもりですが、

小学生の頃のように時間の長さを感じることができません。

新しい機会に身を置いている時でさえ、その時間はあっという間に過ぎてしまうのです。

 

この原因は、「退屈さ」を感じる時間が減ったからなのではないかと考えました。

 

では、「退屈さ」を感じるためには何をしたらよいのでしょうか。

ずばり、「何もしない」「でも、寝ない」ことだと思います。

 

子供時代を考えると、ぼーっとしていた時間が長かったのではないかなと思います。

(無意識にしていたことの方が多いと思いますが...)

たとえ、自分がやらなければいけないことがあったとしてもその反応速度(状況を理解して行動に移す時間)は大人と比べて遅いと思います。

つまり、物理的に「退屈な時間」が多かったと思うのです。

 

一方、大人はどうでしょう。

毎日同じような生活を送ることで、頭で考えなくても「自動的に」体を動かすことができるようになります。

 

朝起きたら、疑うことなく目覚ましを止め、迷うことなく顔を洗います。

これは、一見「退屈な時間」に見えます。しかし、違います。

日常習慣なのです。

生きるために必要な事をするのは退屈な時間ではありません。

 

退屈な時間とは、先ほど書いたように「何もしない」「でも、寝ない」状況なのです。

 

私自身、最後に退屈さを感じた時間はバイトの暇な時間です。

お客さんが来ないため、何もすることがない。かといって、サボる抜け道がほとんどない状況でした。

これは、確実に「退屈な時間」と言えます。

(案の定、時間を確認するたびに進みの遅さに萎えていました笑)

 

この退屈な時間と日常習慣に追われた時間の使い方明らかに質が違いますね。

 

子供時代は、親が代わりに日常習慣をやってくれます

一般的に、ごはんを作ってくれ洗濯をしてくれますね。

それを充填するかのように、「退屈な時間」を過ごすことが多くなるはずなのです。

振り返ると、意味もなく夜起きていたりしたなと思います。

この時間こそが、時間の経つ速度を遅らせる一因だと思います。

 

「退屈な時間」は良いも悪いもないと思います。

しかし、大人になってまでバイトの暇さを感じまくるような退屈な時間の使い方をしたくないと私は思ってしまいます。

子供の時の「退屈な時間」は絶対に必要だと思います。

必要と言うよりは、本来なくすことができないものだと思います。

しかし、退屈を埋めるためにひたすらゲームをやり続ける子供がいます。

時間を体感するという大切な期間を失ってしまうことに繋がるので、

ある意味時間が均一化してしまうのでもったいないと感じます

 

しかし、大人には当てはまりません。

大人は、(私が定義したような)退屈な時間を作るべきではありません

社会で生きていくことと、自分の向上心の必要性を感じるはずだからです。

この二つがあれば、自分を退屈な時間に投じることは避けるはずです。

つまり、退屈な時間にばかり身を置いていると生きる希望を失いかねません。

 

結論、大人が時間の経過の早さを感じてしまうのは悪いことではないと思います。

歳をとったからと言って、決して新しい挑戦を止めたわけではないのです。

大人になったにも関わらず、時間の経過の早さを感じない方がおかしいです。

 

 

ここで、ふと文春新書『退屈力』という本を思い出しました。

この本では、「繰り返し」によって型を体に覚え込ませることが退屈力育成に役立つと書かれていたと思います。

私の「退屈」の解釈とは違いますね。

(面白い本だったので、気になる方は読んでみてください)

 

では、また〜

 

 

 

 

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