まみずハルカブログ

私の日常もあなたの非日常。とにかく雑多に書いてます。

【雑談】先生の顔思い出しゲーム

こんにちは、まみずハルカです。

最近、昔のことをふと思い出すことが多くなった気がします。その一つについて、書こうと思います。

 

夜布団に入った時、中高の校舎が頭に駆け巡りました。私は中高一貫校だったので6年間過ごしていた校舎です。大学の4年間一度もこの建物を思い出すことがなかったのですが、急に記憶が蘇ったのです。(大学生活と就職の狭間にいるからでしょうか)

 

校舎内の廊下を想像し、VRのように段階的に部屋に入って行きます。そして、当時の情景とリンクさせておきます。考えれば考えるほど鮮明になってゆき、目を瞑りながら一人で「懐かしー↑」と何度も声を上げていました笑

私の性格上あまり過去を振り返らないので、これがとても新鮮な体験でした。卒業アルバムは一応同じ屋根の下にありますが、全く開けていませんでした。

話を戻しますが、一通り思い出せるだけの空間をイメージした後、次のフェーズに移ります。

「先生を思い出せるだけ思い出そう」というゲームを始めました。(何やってるだか笑)

自分の担任や比較的好きだった理科の先生方はすぐ思い出せます。しかし、短期間だけ教わった先生などは印象が薄くは思い出すのに苦労しました。しかし、時間をかけるとぽつりぽつりと顔が思い浮かぶのです。一番、感動したのは一度も授業を受けたことのない先生です。委員会か何かで数回しか顔を合わせていないような先生を思い出したのです。思い出しても何の得にもなりませんが、アハ体験なみの爽快感を得ました。(大げさではないです)

 

ふと、私のことを覚えている先生はほとんどいないだろうなと改めて思いました。私に限らず、先生一人に対して毎年たくさんの生徒に出会う訳だから、生徒一人当たりの記憶のキャパと比重は自ずと低くなるはずです。こと、「顔に特徴がなく、覚えられにくい」自称スパイ顔の私を現在まで記憶するのは至難の技でしょう。となると、生徒と先生の関係というのは非対称性を持ちますね。基本的に、生徒は「教えられる立場」で先生は「教える立場」です。1人:30人という構成はやはり違和感があります。たとえ、先生生徒間でお互いに尊敬の念を持っていたとて、壁は確実にあります。

 

また教育の話になってしまいましたが、「学び」はフェアである必要があると私は思っています。つまり、学ぶものと学ばれるもの(知識など)は対等なのです。先生が講義する授業はいわば、先生のスピード話し方教え方の押し付け他なりません。フェアな学びとは思えません。誰もが「この授業は意味がない」と斜に構えていた時期があると思いますが、私はずっとそして今も当時を思い出しては「時間の搾取」だったなと思います。(あくまで「学」の話であって「学校生活」の話ではありません)

 

当時の私は、先生の授業をほとんど聞いていませんでした。しかし、居眠りをするような反抗的な生徒でもなかったので授業中は頭を空っぽにして黒板を眺めたり、気分が乗っている時は教科書を読んでいました。教科書というのはとても合理的に話を展開し、読むだけで学びがスムーズになるアイテムです。(コラムも多い)

 

教科書と問題集だけで授業は十分だと私は思っていました。プラスアルファの話は本で補ったほうが効率的ですよね。とまあ、このように当時も考えていました。私がやっていたのは、とてもフェアな学びだったなと思います。

 

授業は効率だけ考えるとあれですが、その時間を拘束されることで「一切学びをしないよりはマシ」の状態は作れるので良い悪いを一概には言えないかもしれません。自分の意志で知的な学びをするのは確かに難しいよなとも思います。私も授業中ぼーっとする時間があったから、教科書の偉大さに気づいたし、椅子に長時間腰掛ける修行を修行と感じなくなる精神力が身についたのかもしれません。あー、夜中にやっていた「先生思い出しゲーム」の話から外れて教育論講じてしまった。

 

では、また〜